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2005年11月29日 (火)

玄米コーヒー

 昨日はSMAPの番組で玄米ごはんのお茶漬けが出されていたので書いてみる。
 僕は約10年間、花粉症で苦しんだ。(大した悩みではないがツライんだな)そこへ今年の春三月、会社の先輩が良い物を紹介してくれた。

ブラックジンガー 玄米コーヒー      という。

 先輩が人から健康に良いと聞いて飲んでいたら、いつの間にか自分の花粉症が治ってしまっていた、と話してくれた。そんな話を聞き流してはいられない。ダメもとだ。早速ネットで調べてその日のうちに注文した。

 1日2杯程度飲んで10日か2週間くらいかな。おっと思ったのは。結局今年は何の症状も出なかった。それまでの僕は花粉症の薬(鼻から直に噴霧する物と飲み薬)を会社の机、車の中、自宅の部屋、実家の部屋、携帯用とそこら中に常備していた。しかし今年は用無しだった。
 同じく春に上司が言っていた。
「家では玄米を食べているんだよ。これがいいのさ。花粉症だった家族4人全員が治っちゃった。」

 医学的な根拠は分からない。僕も果たしてこの玄米コーヒーのおかげで治ったのかどうかも分からない。そうだとしても当然個人差もある思うけど。だけどかつて耳鼻科で血液検査をしてもらったら、「原因は花粉は勿論ですがそれも多種多様、埃などもアレルギーとしてある。症状は年中出そうですね。」なんて言ってくれた。(当たってるよぉ)
 そんな僕がこんなに楽になっていいのかと思うくらいだった。

 この玄米コーヒー、はっきり言って「まずい!」砂糖なども入れずに飲んでいたが、2,3杯飲んで気づいた。

ただの褐色の玄米茶じゃないか?!

効能のある成分の含有量が違うとは思うけど、試してみる価値はあるかも。あくまで僕の実体験なので責任は持てませんが。

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2005年11月28日 (月)

米-2

 この間「米」について書いたのでその関連で。 自分では食べ物にはあまり拘りが無い方だと思っている。敢えていえば白いご飯が炊きたてであれば、おかずは本当に何でもいいという感じだ。もちろん美味しい物を出されれば断る理由な無いけど。  
 さて主食の米についてである。一般的に玄米を精米すると重量的に約10%減少する。その白米を食べているわけだが、江戸時代は玄米を食べていた人が多かったそうである。 少し調べてみたところ、江戸の上流階級では白米が食べられていた。上流階級とは武士となるが、参勤交代で江戸へ来るたびに起こりっぽくなる、寝込む、倦怠、食欲不振、手足のしびれ、肥満になるなど病人が続出したという。ところが国に帰ると、ウソのように治ってしまうという、不思議な病気だったそうだ。  
  原因は今では分かっている。「脚気」である。玄米に含まれるビタミンB1が不足したために起こる。江戸では精米された白米を食べビタミンB1が不足し病気になるが、国元では玄米を食べそれが解消されるわけである。

 肝心なのは中の白米ではなく、周囲の糠や胚芽ということになる。中の白米は何なの?  

 ちなみに日本酒はもちろんお米から作られる。そのお米は酒米で日本酒の為のお米だが、作る際には重量の40%~60%が精米されて材料として使われず、中心部の約半分のみが使用されるそうである。そういうお米から作られた日本酒が「旨い」のだそうだ。(僕は下戸なのでよくわからないけど)

 僕の知り合いには美食家というような人はいないのでわからないし、彼らが「うまい」というものを同じように食べて、同じ感想が持てるだけの舌を持っているかどうかも疑問だ。ただ、やしきたかじん氏が言っていたけど、「わしの知り合いの美食家で健康な奴はおらんな。」

 美味しい食べ物とは、本来大切な物を捨ててしまったものの事なのか?????

  どこかのHPを拝見していたらこんなのがあった。

「白米、これをくっつけて1文字にするとこんな漢字になる『粕(かす)』」

  ずっこけた。まあだからこそ今回の内容を書こうと思ったわけだけど。漢字の成り立ちなど分からないし、もちろん栄養学に詳しいわけではない。全てがそうだなんてとても思えないが、なんだか逆説的なことは多くあるのかもしれないと思ったりした。
 「良薬は口に苦し」とはよく言う。「口に旨し」は果たしてなんだろう。

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2005年11月25日 (金)

自分が存在する理由(また大げさな)

「いったいあなたとは何なのでしょう?」
知っている人には有名すぎるこの一節であるが、僕がかつて疑問に思ったのは
「人間は何のために生まれ、何のために生きるのか?」
というものだった。

 別にカッコつけてるわけではないのだが暫く悩んでいた時期があった。自分は何で生きてるんだ・・・そのうちに1つ気が付いた(ような気がした)。

自分が存在しなくてはならない絶対的な理由は無い・・・んじゃないの、と。

 自分は弟がいるが、初めから「僕」が存在していなければ弟が長男としてその人生を過ごしたはずだ。自分にしても「なぜ兄や姉がいないのか」などという疑問を持っても、いないからいないとしか言えない。
 学校などで40人のクラスがあるとして、もし自分が存在していなければ39人のクラスが出来るだけで、なぜ40人では無いのかという疑問は誰も持たない。
 会社であっても今は誰かがその仕事をこなしているが、もとからその社員がいなければ違う人がやっていたはずなのだ。

 つまり、今突然自分が消えてしまったりすれば迷惑がかかる範囲は大きいが、もとから存在していなければ、それはそれで家庭も学校も会社も社会も動くわけである。

 なおここで間違えやすいと思われるので書いておく。
「自分はこの世で必要のない人間だ。生きていても仕方がない。」
こういった類の悩みとは根本的に違うということだ。

 この命題についてずいぶん長いこと考えていた。

 

ず---------っと考えていた。

そして、ついに結論を出した。

時間のムダである。



 

・・・・・・・・・なんじゃそりゃ(笑)。

 そう言われれも仕方ないのだが、考えること自体を放棄した。

だいたい分かるわけがない!

好きで生まれてきたわけじゃねー      (どうやらそうらしい)
死んだら何もかも無くなるんだー       (そうでもないらしい)
楽しくなきゃ人生なんぞ意味ねー       (そうでもないらしい)

そう考えることで悩むのをやめた。これで楽になった。

はずだった。

すぐに次の疑問が湧いてきた。

「では、どのような人生を送るべきなのか?」

良い本に出逢うのは早いほうがいい。
もちろん読むだけなら誰にでもできるけど。

摂理に即した生活?とてもとても人に言えるようなもんではございませんな。

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2005年11月23日 (水)

生命とは循環?

 米という漢字は八十八と書く。八十八もの手間をかけて作られるなんて教えられたものだ。(その程度ではすまないと思うが)

 米は捨てる部分が全く無いという。

 僕は仕事で稲作の工程全てに携わっているのだが、全くそう思う。我が家の場合だが、稲刈りをして藁(ワラ)と籾(モミ)を分ける。かつて藁はどこでも家屋の屋根に利用したり、履き物などに使った(100年以上前ですが)。今は細かく切り刻んで田に蒔き、肥料の一部とする。籾は籾すりをして籾殻と玄米に分ける。籾殻は炭の状態にまで焦がして土に混ぜると土が締め固まらず、植物の発育にも良いらしい。玄米は精米してぬかと白米に分ける。ぬかはかつて肌のお手入れにも使われたらしい。今でも石鹸にも加工される。大半はそこから油を絞り、なおかつそのカスは家畜の飼料になる。白米はもちろん焚いて白いご飯として食卓に並ぶ。他にも利用されている物はたくさんあると思うが、僕の知っているのはこのくらい。はい、おしまい。結局何も残らないか、翌年の準備として利用される。
 そこで思うのだが、地球上のあらゆる物に無駄が無いように出来ているんじゃないかと思う。ただ技術的にそこまで至っていないことが多いだけではないかと思う。そして今まで捨てられていた物も研究が進み、コスト低減により再利用が可能になる。それらが1つ1つ積み重なり、廃棄処分とするものが無くなるのではないか思う。
 
 話は飛んで、少し前NHKで宇宙に関する番組をやっていた。火星の写真を挙げて「河川と思われる物が映っている。(水ではなく、液体の金属だったはず)これは物質の循環がある事を示しており生命が存在した証拠である。」というような事を言っていた。(記憶は少し曖昧だが)
 またつい最近ラジオでどこかの教授だか医者がゲストで来ていた。「細胞はどんどん作られ、古い物は次々に排泄されていく。(パーソナリティに対し)半年後か一年後に再会しても見た目は変わりませんが、以前の細胞は一個も無いんですよ。」なんて言っていた。

 生命とは絶えず循環することが不可欠なのだろう。単純に言っても毎日食事をし、毎日トイレに行く。どちらかでも止まれば極端な話生命の危機である。

 また、新しく細胞が作られ古い物が死んでいく事について、はからずも肉体が自分の本質ではないよということを言っているように聞こえる。

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2005年11月20日 (日)

成功する男

 塩野七生という作家がいる。イタリアのフィレンツエに在住し、イタリア関連の著作が多い。彼女の存在は学生時代「男たちへ」という本を読んで知った。副題として「フツウの男をフツウでない男にするための54章」と銘打った本である。

 なるほどそれをそういう風に見るのか、と唸らされる事がたびたびあり面白かった。今回はその中の1つである「成功する男」という章を取り上げてみる。
 冒頭で、ここでの成功者とは社会的地位の上下とはあまり関係ないということを言う。この時点で「うんうん」と引き込まれる。この成功者の条件に彼女が挙げるのは以下の通りである。

1.体全体から明るさを漂わせる男。
2.暗黒面ばかりに眼がいく事のない男。
3.自分の仕事に90%の満足と10%の不満をもつ男。
4.ごく普通の常識を持っている事。
 
 4は言うことはない。1と2はそれぞれの裏返しとも思える。明るさを漂わせるということは常に考え方が明るく、前向きであるということだろう。そうすれば必然的に暗い方向には行きづらい。明るくしていればそこへは同じように明るい人が集うのだろう。同様に暗い人の所には同じく暗い人が集まりやすいように感じる。どちらもそれが循環して明るい方は更に明るく、暗い方は一層暗くなっていくようである。
 3について、僕としては90%の満足が得られればもう充分だと思う。80%でも良さそうだと思うが、100%でないというところが人間味があっていいのだろう。仕事でも何でも完璧を目指すべきだと思うが、同時に完璧はあり得ないということもどこかに持っているべきだと思う。完璧を追求しすぎるとその緊張感がいつかどこかで「プツン」と切れて、後は全て投げ出してしまうんじゃないかという恐怖がある。
(1回くらいそこまでやってみろと自分にツッコミを入れてみる。) 

 総括的な物が1の説明に書かれているのだが(恐らく1だけでも筆者は言いたい事はほとんど言い終わっていると思う)一言で言うと「セレーノ」ということになるらしい。イタリア語だそうで僕には分からないが、「静かに晴れた、澄み切った、のどかな、晴朗な」という意味だそうだ。こんな形容詞の付く人なら確かに成功して当たり前とも言える。

 この「成功者」は社会的地位といったものではないと始めにことわっているが、では「成功」とは一体何かということになる。金でもなく、地位でもなく、名誉でもなく、名声でもない。それらはいわゆる「成功」をおさめれば、おまけとして勝手についてくるものだろう。
 TB頂いたブログのコメントに少し書いた事とも重なるが、僕が尊敬するコルベ神父の人生は果たして「成功」だったのか。唯物論で語れば「失敗」と切り捨てられかねない。(僕が勝手に思うだけだが、コルベ神父は上記の1~4の条件は全てクリアしていた人物ではなかったかと思っている。)しかし彼が助けた男性とその周囲の人々、そして後世の人々に対し命を張って投げかけた「人生とは何か」という問題提起。「成功」「失敗」などといった分類などに当てはまらない人生。

 今回は書き散らかしになってしまったような。巷に氾濫する薄っぺらな「成功哲学」とは違う「成功」を取り上げたつもりだったのだが。

少し修正
「成功」のおまけで「金」や「地位」がついてくるときもある、とういう程度かな。

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2005年11月17日 (木)

ボビー

 我が家にはボビーというミニチュアダックスフンドがいる。
「動物は家を守る。」
知り合いの女性霊能者が言っていた。(以前書いた拝金霊能者ではない)だから飼っているというわけではないが、縁あって我が家の一員となった。ちなみにメスである。

 ミニチュアダックスフンドはよく吠えるらしい。こやつもまたそうだ。お客さんが来るたびに吠えまくる。その声のおかげで立ち話もできない。しかしエサをくれる家族(特にうちの母)には甘えまくる。僕がサラリーマン時代にたまに帰省すると、もう「待ってました!!」とばかり飛びついてくる。尻尾振り回して吠えるわ、足にまとわりつくわの大歓迎である。

 しかし

 その大歓迎はよくもって10分である。その後は「義理は果たした」と言わんばかりの態度。前を通り過ぎても流し目で僕を見るだけである。
「やっぱりエサをくれる人にはかなわんよ。」
と言う母親。
「そのエサ代出してるのは私なんですけど。」
とぼやく弟。

 それでも留守がちな我が家を守る「番犬」である。見ず知らずの人が来ても全く吠えないのでは意味がない。がんばってくれよとエールを送る。

でもな

今お前が吠えていたのは誰か分かっているか?確かにエサもくれない。撫でたりしてもくれない。関心もないらしい。しかし彼は

僕の祖父だ!いいかげん家族の顔ぐらい覚えろ!

お前がこの家へ来てから7年だぞ!

 僕が霊界へ行った時、果たしてヤツはきちんと僕を覚えていて迎えに来てくれるのだろうか?はなはだ心許ない我が家の一員である。

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2005年11月15日 (火)

国別常識

 最近近所で中国人が目に付く。別に不法な就労ではないと思うが、やっぱりというべきか事件があったらしい。

 近所の農家のおばあさんが畑で白菜を作っていた。顔見知りになった中国人なので、親切に「よかったら、持っていってもいいよ。」と言ったらしい。すると次の日には畑中の全ての白菜が無くなっていた。
 近くの洋服の縫製工場でも中国人が働いている。彼が見慣れない傘を持っていることに社長が気づいて問いただしたところ、スーパーの入り口にあったから持ってきたという。社長は激怒して返しに行かせたと言っていた。もちろん客の物だ。

 僕としては正直なところあり得るよなあといった感じだ。もちろん被害者になればまた話もかわってくるのだけど。個人の範囲か、社会か民族かは分からないが、彼らにとってはそれが「常識の範囲内」なのだろう。

 かつて中国に行ったときお土産を買ったが、売店の人間はペラペラの日本語で接客してきた。要するに日本人対策の店員である。試飲して美味しかったお茶を買おうとしたら値段を提示してきた。
「絶対に言い値では買わないで。安くなるから。」
と言われていた僕は試しに提示額のゼロを1つ取って、10%でどう?と言ってみた。流石に無理だと言う。しかし値段はそのままで同じ品をもう一つ付けるからどうだという。いきなり50%OFFかいなと唖然とした。なんだか腹が立って何も言わずにいると、
「更にもう1個付けるから。」
と言われた。で・・・1個分の値段で3個買った。

ホントの値段はいくらやねん?

 日本では悪徳業者ならあり得るが、普通の販売店では考えられない。日本人同士の話と中国人同士の話では前提が違う。お互い相手を理解せずにそこら辺をごちゃ混ぜにして「善意」を行っても「なんだよあいつら。」という事になってしまう。結局相手を理解する以外にない。

 名古屋グランパスに長年所属したストイコビッチという名選手がいた。彼の奥さんがタクシーに財布を忘れたそうだ。数日後その財布は現金そのまま本人の手元に戻ったそうである。「ヨーロッパでは絶対に考えられない事だ。」とコメントしていた。日本だからといって必ずしもそうなるわけではないと思うが、なんとなくうれしい。もちろん他の国には日本に無い美点も多くあるはずである。そんな物を勉強したいと思う。

ちなみに中国の諺「雪中送炭」というのがある。
凍える人にはひとかけらの炭でいいから与えよ。というような意味らしい。

それで行こうよ。

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2005年11月13日 (日)

風信帖

 いつもご訪問ありがとうございます。
 マイフォトに写真を追加しました。またお習字もので恐縮です。

 空海が最澄にあてた手紙で「風信帖」と呼ばれるものです。4年前に書きました。以前に名古屋市博物館で開催された「国宝 弘法大師空海展」で本物を見ました。書を目指す者としては1回は書きたいと思う題材です。(もう書いてしまっていいのか~?)

 書は年に1枚か2枚を掛軸にして残しています。たまに古い物を引っ張り出したりしますが、数年前のものでも懐かしいものです。もし書道を始められている方がいらっしゃれば、1回の練習に1枚でも月に1枚でも保存されることをお勧めします。1日、2日では分かりませんが、後になって見直してみると自分の成長が分かります。

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2005年11月11日 (金)

ダライ・ラマ

 ダライ・ラマがアメリカ大統領と会見する。
 陰ながら応援する僕としては大変うれしいニュースです。中国の侵略から50年以上が過ぎました。津波や地震などの天災の場合は世界中から一斉に援助の手がさしのべられますが、侵略された国については世界で認知さえされにくいようです。アメリカの振りかざす「正義」は果たしていかがなものかとも思いますが、とにかく今はアメリカを頼るしかないと思われます。
 
 「ダライ・ラマの般若心経」というDVD付きの本を持っています。実は私めは般若心経を暗記しておりまして、いや~な雰囲気の時は声にせずに唱えたりしていますが、効果があるのかどうかは分かりません。小学生の頃覚えましたが、成人してからは「何が書いてあるのか意味も分かりもせずに発声していても仕方がない」と思い止めていました。その後3冊ほど解説本を読み、そういうことかと思う部分もありましたが、「分かったと思われる事の奥に更に深い部分がある。」ということと、「分かった人にしか分からない。」といった感想を持ちました。

色即是空 空即是色

有名なフレーズです。
説明聞けば分かったような気にもなりますが、よく分かりません。

空と無

分かったようなわからんような。
ダライ・ラマとは関係ありませんが、日本人の僧侶の方がこちらに説明を書いておられますので、暇な方はお読みになるのもいいかもしれません。(4年ほど前に見つけたサイトです。相当長いです。さらに原典から漢訳する際に、誤訳があるとまで言われています。僕にはどちらも理解不能です。)

ダライ・ラマ自身が自分は悟りの段階の序盤だと言っていました。だったら自分も無理ですね。なんてことを言っていてはいけない。

 「無限の利他」ダライ・ラマはそう言う。「利他」はサンスクリット語で最も近い言葉で「ロカ・ヒタ」というそうです。ロカは「地球の住人・人類」、ヒタは「親切な・愛情深い・利益・繁栄」を意味するそうです。

 でも・・・お前はもっと親に感謝しろと言われそうな僕の毎日なのでした。

頭が痛くなる。こんな報道はやめてほしい。

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2005年11月 9日 (水)

火の神様

 先日、自宅の竃(カマド)を壊した。

      カマド?

 21世紀にカマドがあるんかい?

 すいません十数年前まで現役でした。勿論日々の台所作業にはちゃんとガス・電気は来ていますが、イベント時たとえば盆、雛祭り、端午の節句、年末などの餅、赤飯を作る際にはガンガン薪で火を焚いていましたよ。その火の当番は子供の頃からなぜか長男の僕でした。年末などの餅つきは親戚から知り合いから数家族分でしたから、1日に6升~8升の餅をついていましたので大仕事でした。

  大晦日には家の内外に餅とみかんを供え蝋燭に火を灯します。あの雰囲気はなかなかオツです。このお供えは農具を脇に置いたカマドにも据えます。昔はカマドにも「神」が宿ると考えていたのですね。火は便利で大切ですが、一つ間違えれば大惨事になります。そんな事で「家をお守りください」ということなのでしょうね。

 風の谷のナウシカの1フレーズを思い出します。
「あんたらは火を使う。そりゃあワシらもちょびっとは使う。しかし多すぎる火は何も生みゃあせん・・・・・」

なんで覚えてんだ?

 ちなみにブログの脇のおすすめの本に「シュナの旅」を挙げていますが、これも宮崎駿氏の本です。かなり昔NHKでラジオドラマになりました。・・・・・そのとき録音したカセットテープがまだあったりして。

マニアに商売できんかな?

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2005年11月 8日 (火)

Good Loser(自分で言うか?)

 そんなわけで「南京」に関する議論は小生の負けと相成りました。

  事件の「数字」的なものの結論は容易に出ませんが、検証すべき点はどこか、信用に値する証拠はどれか、更に様々な方向から見なくてはいけませんね。(生兵法はいかんぞ~)もともと「あった」と思っていた事に疑問を持ち読みはじめた本でしたが、今度はそちらを信用しすぎましたかね。右へ行ってはぶつかり左へ行ってはぶつかる。人生ってのもそんなもんかいな。

なんとなく「青年牧師との論争」を思い出してしまいます。

うーん、今わりといい気分なんですよ、これでも。

「盲信はいけません」

この業界ではうんざりするほど聞く言葉です。それだけ人間は盲信しやすいということですね。だから自分でもっと調べて検討するしか方法はありません。誰かがこう言ったからそれが100%正しいわけではないのです。

 ブログの趣旨から遠く離れた場所での話でしたが勉強になりました。スピやってるとどうも自分の内側内側へ意識が向きがちですし、同じ内容の事を知っている者同士の話になりやすいと思います。

 これからもいろんな所へ首突っ込んでいきますよ!

P.S 昨日僕が紹介したHPのアドレス今朝から繋がらなくなってます。
肝心な時になぜ?
そしたら今朝から移転していました。参考にされたい方は下記です。なお青狐さんからご紹介いただいたHPも並記させて頂きます。

南京大虐殺はウソだ   南京事件 小さな資料集

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2005年11月 7日 (月)

返信です

昨日の内容について青狐(さんより頂いたコメントへの返信

 青狐(さん、コメントありがとうございます。
僕の参考資料として、ご存じでしょうがはネットではこちらです。http://www.geocities.jp/nanking1937_matsuo/nanking/
また読んだ本としては、松尾一郎著 「プロパガンダ戦 南京事件」、東中野修道他著「南京事件「証拠写真」を検証する」その他小林よしのり氏の「戦争論」です。

 文面と記載していただいたアドレスのHPの内容からしますと、肯定派の方でしょうね。
 南京陥落時の人口20万人の根拠です。これもご存じでしょうが、当時南京にいたドイツ人記者ジョン・ラーベ氏の日記でその数字が出てくること、また日本軍が昭和12年12月24日~翌年 1月5日までの間に市民に交付した良民証(通行証)が15万枚であり、これは12才以下及び60才以上は除外しているため20万人前後と推測されること。さらに1月6日以降は日本軍から引継を受けた別の機関が、更に10万枚が追加交付されているということで、南京陥落後は人口が増えていることにもなります。虐殺されるために周辺の中国人は南京へ来たのでしょうか?また良民証発行の目的は何なのでしょう。
 なお地域的な定義はよく分かりませんが、上記のような行政の影響範囲と考えています。上海戦以降の全ての住民を虐殺しながら南京へ侵攻したと定義する説もあるそうですが、軍事行動としては無意味で、あり得ないと思われます。

 また南京攻略の総司令官の松井石根大将は「南京は中国の首都である。之が攻略は世界的事件であるがゆえに真に研究して日本の名誉を一層発揮し中国民衆の信頼を増すようにせよ。特に敵軍といえども、抗戦意志を失いたるもの及び一般官民に対しては寛容慈悲の態度を取り之を宣撫愛護せよ」という一文を発表し、下士官に至るまで徹底させよと命じたとあります。また17日の入城とともに「中国の戦死者もともに慰霊しよう」と提案されています(最終的には取りやめになっていますが)。虐殺が始まったのはその日からとされています。30万人からの殺害をするとなれば、軍全体の意志として行われるはずですから、それを1日であっさり翻したのでしょうか?

 以下は科学的な検証ではないことは承知していますが、松井大将は日本陸軍の中で最も中国を愛していたとされるそうで、孫文とも周知の仲であり南京攻略の前年には中国軍閥の司令官と会い、中国統一を説いて回ったそうです。日本へ帰国後は激戦区であった上海近郊から取り寄せた土で「興亜観音像」を作り、日中戦死者とアジアの平和の為に祈りつづけられたそうです。最終的に松井大将はA級戦犯として処刑されていますが、このような人が虐殺を命じるとは到底思えません。

 果たして、上記の書籍、HPの方が間違っているのでしょうか?おそらくこのような質問は当ブログ以外にも、各所へ送られていらっしゃると思います。是非とも双方のご意見をお聞きしたいので、質問をお送りになったブログ・HPのアドレスをお教えください。またネット上、書籍でも推薦の参考資料がございましたら、お教えいただければ幸いです。なお昨日の文章中に一部ふざけた文章がありましたので、お詫びして削除させて頂きました。

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2005年11月 6日 (日)

命の重さ

 僕には何人かの中国人の友人がいる。十数年前に日本に留学しそのまま日本に滞在している人ばかりだが、今年の夏にそのうちの1人(女性)とお会いした。

  彼女はバリバリのクリスチャン!もとは仏教徒で様々なお経を読んだが、自分の疑問には半分しか答えてくれなかったと言っていた。そしてキリスト教に転向してから「これだ」と思ったそうだ。そんなわけで宗教的な事でも話が合い、以前に「シルバーバーチの霊訓」をお貸しした。そしてその話題になったが、彼女にはピンと来るものではなかったらしい。「キリストの事も出てくるけど、少ないね」
別にキリスト教の本ではないと言っておいたのだが。
 彼女は人に「キリストを信じれば救われる」と説いているらしい。自分の友人の家族が亡くなった時もそう言ったと語った。「僕としては信じないよりは信じる方がいいと思いますけど、信じたから不可能が可能になるとは思いません。」そう伝えたが納得はしない。そうは言っても彼女のように神を信じる人は中国人には多くないらしい。元来毛沢東が「宗教は毒だ!」と言いチベット侵略後、寺院をさんざん破壊しつくし、僧侶を虐殺した国だから当然かもしれない。
(文化大革命における自国民の生命の「軽さ」からすればチベット人やウイグル人など虫けら同然と思っているのだろう。見下げ果てた政府である。)
 
 話はいつのまにか中国政府について。
「今は少なくなったけど、少し前まではね、密告があったよ。」
知ってはいたけど、当事国の国民の口から聞くとぞっとする。
「中国の大学を卒業してから、少しの間裁判所でバイトしたことがあるけど、驚いたよ。」
「?」
「裁判官が被告やその親族と当たり前にお酒を飲みに行ったり、食事に行ったりするんだよね。その接待で量刑が変わるんだよ。『貴方達は自分がどういう仕事をしているか分かっているんですか?』そう怒ったんだけど、その意味すら分かっていなかったね。」
恐ろしい国である。

 最後にえのら・げいに乗ったつもりで「核爆弾級」の質問をぶつけてみた。
「あのー怒るかも知れませんが・・・南京大虐殺が30万人って大変信憑性がない事件だという事ご存じですか。」
流石に少しむっとされた。もちろんこんな話題は相手を選ばねば出来るものではない。
「虐殺がゼロとは言いません。戦時下の戦闘行為のあった場所ですから。当時の南京の人口が20万人ということは分かっています。虐殺30万人はあり得ない。」

 こんな事をお茶会の話題にするのもどうかと思うし、民間人同士で話をしてどうなるものでもないと分かっているし、その前に愛国心の強い中国人に言ってご機嫌が良くなるはずなど無いことも承知の上で話している。ただある意味中国国民も「洗脳」されていると思う。インターネットもメールもすべて情報を制御され操作され、政府の検閲を通過したものしか許されない国なのだ。その点で中国国民には多少同情してしまう僕である。(韓国は何の情報統制も無いはずだが・・・)

 最後に1つ。ヒロシマ、ナガサキの原爆って誰がどう考えても
「民間人の無差別大量殺人」
ですよね。日本各都市の空襲も同じですよね。 

 命の重さを計れる人がいるらしい。

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夜回り先生

 今、NHK教育で水谷修氏の番組を見ている。あの夜回り先生である。今日はブログを休むつもりだったが、少し書こうと思った。 

 水谷先生の本は少し読んでいたので、なされている活動は基本的に知っている。しかし実際の講演を聞くと、その言葉は切実に伝わる。一人でも多くの子供を闇から救おうとする。話を聞いているだけで辛くなってくる。ドラッグ、シンナー、エイズ・・・・・こんな話を聞いていると、当たり前と思っていた自分の境遇がありがたい事だと再認識する。偉そうに「書」がどうの「剣」がどうのと書いているが、これまでそのような環境にいられたことに感謝せねばならんのに、気が付けば忘れている。

 こんな時間にシルバーバーチがこう言っているがどういうことだろう、などと思案を巡らせていられるのもとても幸せなことだ。

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2005年11月 4日 (金)

修行は甘くない

 今年の全日本剣道選手権大会は原田悟氏の優勝となった。
  決勝の小手も良かったが、準決勝の面も良かった。相打ちで当たる瞬間はその場に居合わせれば分かるが、テレビで見ていると分かりづらい。

 剣道をされていない方はもっとどんどん打てばいいのに、と思われるかも知れない。確かにその方が見栄えもする。しかしあれは打ちたくても打てないのだ。構えたときの打たない攻め合いというものがある。すっと前へ出たり、下がったり、竹刀をチョンと払ったり、打つふりをしたり。これは何をしているかというと、自分の竹刀で相手の中心を取るための「静」の攻め合いなのである。中心を取らずに打ちに出ればどうなるかといえば、相手の竹刀の先が自分の喉に食い込むだけだ。だから打ちに行くときには「静」の攻めは大方決着が着いているのだが、だからといって相手も打たれるままにしておくわけがないので体勢を崩してもかわそうとする。「静」から一転して「動」となる。打ち始めたら気を抜いた方の負けである。 そして勝負を決する「その1本」のために剣道家は毎日何千本も面を打ち、小手を打つ。

 シルバーコレクター、ブロンズコレクターに甘んじてきた原田選手。今年は最高の1年ですね。おめでとうございます。優勝インタビューでも「感謝したい」を連発していました。これからはいろんな大会に出ても、挑戦を受ける立場です。剣道は圧倒的な王者はなかなか出ないですが勝ち続けてほしい。しかし負けたとしても
「我いまだ木鶏たりえず。」
なんて言ってくれると、かっこよろしいんですが。

 テレビで見る原田選手しか知りませんが、
「おとなしくて人の良さそうな公務員」
みたいにしか見えないんですけど・・・・・それに比べ柔道の井上康生選手や鈴木桂治選手がいたら、100m離れてても思わず「ごめんなさい!!」と言ってしまいそうな気がするのは何だろう?(別に悪気は無いんです。すいません)

 面の打ち方、小手、胴、突き、真剣にやっていた頃は毎日がこう打てばいいのかという発見があった。しかしいくら発見しても、すぐに新しい発見があるためそれが完璧などとは思えない。
 書にしてもそう。ここ2,3年くらいにようやく「右払い」(例:「人」、「文」などの最後の払い)がそこそこ書けるようになったかな、という程度のものだ。
 まして真理の理解など遙か彼方・・・ですよ。

 あのHPは開設当初からたまに覗いてはいたが発言はしていない。しかしながら改めて考えさせられる。

何だか力が入らない。

 
いかん、必ず書こうと思っていたのに忘れかけた。
韓国の皆さん!!剣道の発祥の地は日本ですから!!
韓国が発祥だなんて世界へ出ていって言わないでください!!
まずはキムチの次の自国の文化を創り上げましょう。
いやその前に「著作権」という概念の存在を知ってください。
(ここに書いてどーすんだ)

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2005年11月 2日 (水)

なんちゅうこっちゃ

ゆう・セレフィカダイアリーを拝見して、そのままペーパーバーチ氏の日記を拝見する。

唖然!

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2005年11月 1日 (火)

剣道について

 11月3日は「第53回 全日本剣道選手権大会」が開催される。
 
 日本における武道は勝敗以上にその精神性に重きを置く。その他のスポーツはどうなのだろう?以下はその剣道の理念と剣道修練の目的である。

(剣道の理念)
剣道は剣の理法の修錬による人間形成の道である。
(剣道修練の目的)
剣道を正しく真剣に学び、心身を錬磨して旺盛なる気力を養い、剣道の特性を通じて礼節をとうとび、信義を重んじ誠を尽くして常に自已の修養につとめ、以つて国家、社会を愛して広く人類の平和、繁栄に寄与せんとするものである。

 結構大上段に振りかぶったような文言だが、これは剣道家であればほぼ暗記している。というのも、昇段審査では試合形式の「実技」、木刀による「日本剣道形」および筆記試験があり、この筆記試験では必ず書かされるため嫌でも憶えるしかないのである。(当の僕は7割方忘れていたのでさっき調べた。)
 つまりいくら強くても心が未熟なら意味無いよ、本末転倒だね。ってなもんですな。しかし少年時代に始めたこの剣道だが、これまでの先生方で傲慢と形容されるような人には1人も会ったことがない。そういう人もいるだろうと思うのだが、少ないのかもしれない。そうであれば剣道の理念はまさにお題目ではなく、本当に意味のあるものといえる。このような事は柔道、空手道、居合道、弓道、相撲道、合気道、少林寺拳法なども同様だと思う。これはなぜなのか

・礼に始まり礼に終わるという礼儀を重んじるため。
(「霊に始まり霊に終わる」これはこれでナイスかも!)
・個人競技のため常に一人で鍛錬することになり、自身の内面を見つめる機会が多くなる。
・高齢の先生方もたくさんおり、そんなお年寄り(失礼!)に全くかなわない自分の弱さを自覚するため。
 
 だらだらと出てきそうなので止めるが、僕自身がみるに高段者の方に共通しているのはまず落ち着き、感情に起伏が少ないというべきか、口数も決して多くはない。だからといって無表情な感じではなく、懐が広い自然体と言えば良いだろうか。しかし互いに構えるとまた違う。目が違う。その威圧感はそこらのチンピラなど話にならない。ほとんど動けない時さえあった。(余談になるがかつて読んだ司馬遼太郎の小説の中にあった話。新撰組の生き残りで永倉新八という剣豪がいるが、明治維新後の落ち着きを取り戻した頃、孫と一緒の所を数人のや○ざに絡まれたそうだ。ところが永倉の一睨みでたちまち、○くざは逃げ去ったという。)「気」といってもよいかも知れない。
 高段者に共通すると思われる事で一つ忘れていた。彼らはいわゆる「誇り」というものを持っているように思える。それは薄っぺらなプライドとは違う。
  
肉体の鍛錬が精神を向上させるのか、もともと高い精神性を持った人物が肉体を鍛錬しているだけか。よくわからない。筋肉が付くだけではダメだということは分かる。心の向上つまり霊性の向上、結局はここですな。武道などせずとも毎日が修行なわけなのだが。

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