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2005年11月 7日 (月)

返信です

昨日の内容について青狐(さんより頂いたコメントへの返信

 青狐(さん、コメントありがとうございます。
僕の参考資料として、ご存じでしょうがはネットではこちらです。http://www.geocities.jp/nanking1937_matsuo/nanking/
また読んだ本としては、松尾一郎著 「プロパガンダ戦 南京事件」、東中野修道他著「南京事件「証拠写真」を検証する」その他小林よしのり氏の「戦争論」です。

 文面と記載していただいたアドレスのHPの内容からしますと、肯定派の方でしょうね。
 南京陥落時の人口20万人の根拠です。これもご存じでしょうが、当時南京にいたドイツ人記者ジョン・ラーベ氏の日記でその数字が出てくること、また日本軍が昭和12年12月24日~翌年 1月5日までの間に市民に交付した良民証(通行証)が15万枚であり、これは12才以下及び60才以上は除外しているため20万人前後と推測されること。さらに1月6日以降は日本軍から引継を受けた別の機関が、更に10万枚が追加交付されているということで、南京陥落後は人口が増えていることにもなります。虐殺されるために周辺の中国人は南京へ来たのでしょうか?また良民証発行の目的は何なのでしょう。
 なお地域的な定義はよく分かりませんが、上記のような行政の影響範囲と考えています。上海戦以降の全ての住民を虐殺しながら南京へ侵攻したと定義する説もあるそうですが、軍事行動としては無意味で、あり得ないと思われます。

 また南京攻略の総司令官の松井石根大将は「南京は中国の首都である。之が攻略は世界的事件であるがゆえに真に研究して日本の名誉を一層発揮し中国民衆の信頼を増すようにせよ。特に敵軍といえども、抗戦意志を失いたるもの及び一般官民に対しては寛容慈悲の態度を取り之を宣撫愛護せよ」という一文を発表し、下士官に至るまで徹底させよと命じたとあります。また17日の入城とともに「中国の戦死者もともに慰霊しよう」と提案されています(最終的には取りやめになっていますが)。虐殺が始まったのはその日からとされています。30万人からの殺害をするとなれば、軍全体の意志として行われるはずですから、それを1日であっさり翻したのでしょうか?

 以下は科学的な検証ではないことは承知していますが、松井大将は日本陸軍の中で最も中国を愛していたとされるそうで、孫文とも周知の仲であり南京攻略の前年には中国軍閥の司令官と会い、中国統一を説いて回ったそうです。日本へ帰国後は激戦区であった上海近郊から取り寄せた土で「興亜観音像」を作り、日中戦死者とアジアの平和の為に祈りつづけられたそうです。最終的に松井大将はA級戦犯として処刑されていますが、このような人が虐殺を命じるとは到底思えません。

 果たして、上記の書籍、HPの方が間違っているのでしょうか?おそらくこのような質問は当ブログ以外にも、各所へ送られていらっしゃると思います。是非とも双方のご意見をお聞きしたいので、質問をお送りになったブログ・HPのアドレスをお教えください。またネット上、書籍でも推薦の参考資料がございましたら、お教えいただければ幸いです。なお昨日の文章中に一部ふざけた文章がありましたので、お詫びして削除させて頂きました。

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コメント

>上海戦以降の全ての住民を虐殺しながら南京へ侵攻したと定義する説もあるそうですが、軍事行動としては無意味で、あり得ないと思われます。

「全ての住民を虐殺」という説はないと思いますよ。
ただ、日本軍は食糧をろくに携行していませんでしたから、農村からの略奪が必然化しました。史料として憲兵の上砂少将の手記があります。
http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20050713
略奪のために殺した、略奪した後殺した、あるいは農民を苦力として荷運びに使い、へばったら殺すという事例もあったようです。

それから半ばゲーム的に農民を殺しまくっていた日本兵がいた事例として、望月五三郎という兵士の手記があります。
http://d.hatena.ne.jp/bluefox014/20050827/p1


>虐殺が始まったのはその日からとされています。

それは違うでしょう。事件は12月12日、南京城が日本軍の手に落ちる寸前、避難途中の人間を主に揚子江岸で殺害‥から始まっているというのが中国(南京軍事法廷)の見解です。大規模な殺害は、ほとんど入城式の前でしょう。
つまり、こういうことです。中国側主張の「空間範囲」よりわざと小さく空間範囲をとって「30万人もいない」と述べたり、時間範囲をわざと短くとって「殺害は行われてない」と述べる、これは田中正明氏が最初に始めた手口で、それを丸ごと踏襲しているのが、貴方が紹介した松尾一郎さんのサイトの手口なのです。(ちなみに東中野氏も基本的には同じ手口を踏襲しています)私は2001年にヤフー掲示板の議論をROMしていて、この汚い「手口」に気付きました。それ以来自分で本を読んだり、http://www.geocities.jp/yu77799/index.htm掲載の史料を都立図書館で実際に目を通したりして、自分のブログを開くに至っているわけです。

投稿: 青狐 | 2005年11月 8日 (火) 14:40

>松井石根大将

松井大将の下の師団長クラスが、松井の指示を守らなかったから事件が起きたのですよ。

松井大将自身がこう述懐しています。

「慰霊祭の直後、私は皆を集めて軍総司令官として泣いて怒った。その時は朝香宮もおられ、柳川中将も方面軍司令官だったが。折角皇威を輝かしたのに、あの兵の暴行によって一挙にしてそれを落してしまった、と。ところが、このことのあとで、みなが笑った。甚だしいのは、或る師団長の如きは「当り前ですよ」とさえいった」
(花山信勝『平和の発見』P229)

「上海附近作戦の経過に鑑み南京攻略戦開始に当り、我軍の軍紀風紀を厳粛ならしめん為め各部隊に対し再三留意を促せしこと前記の如し。図らさりき、我軍の南京入城に当り幾多我軍の暴行奪掠事件を惹起し、皇軍の威徳を傷くること尠少ならさるに至れるや。」
(松井大将「支那事変日誌抜粋」)

師団長というのは、2万人規模の「師団」の指揮官です。
中島今朝吾第六師団長などは、日本刀の試し斬りとして(剣道の師範らしき人とともに)捕虜の首を切り、日記に残しているほどです。(もちろん国際法違反です)師団長がこれでは‥http://www.geocities.jp/yu77799/tamesigiri.html

さて、長々と述べてきましたが、中国の30万人説が正しいかは別問題です。しかし、「プロパガンダ」と言われるものはは中国だけに存在するのではなく、日本にもこの事件をめぐる逆方向のプロパガンダがあり、それに流されると危険ですよ、ということは確信を持って述べたいと思います。

投稿: 青狐 | 2005年11月 8日 (火) 14:53

なるほど、
丁寧な説明ありがとうございました。ここまで言われますと、かえって清々しさも感じますね。空間設定・時間設定をどう捉えるかという検証も必要なわけですね。今後もっと本を読み勉強しようと思います。
このたびは書き込みありがとうございました。

投稿: ケンジ | 2005年11月 8日 (火) 18:16

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