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2006年1月31日 (火)

幸福論3(人生の目的)

 星の王子さまは6つの星で6人の大人に会い、7番目に到着したのが地球である。そこは砂漠だったため、とても寂しい場所だった。
 まず話をしたのがヘビ。その後「砂漠の花」に人間の居場所を尋ねる。

「どこであえるか、わかりませんねぇ。風に吹かれて歩きまわるのです。根がないんだから、たいへん不自由していますよ。」

このセリフにはまいったね。著者自身もそう言っているが、「動けない植物」に対して「居場所の定まらない人間」という発想、僕もはっとさせられた部分はあるのだが同時に納得もした。サラリーマン時代、半年後にはどこで働いているか分からない、いや会社全体の都合によっては明日移動の命令が出ても不思議のない毎日だった。仕事の内容とは別の問題だが、そんな毎日が苦痛であり腰を落ち着けた生活がしたいという願望もあって、実家に帰ってきたという所もあるからだ。

 王子さまは線路のポイントを切り替える「スイッチマン」に出会う。彼は自分の仕事を説明する。

「旅客を、千人ずつ荷物にして、えりわけてるんだよ。」

著者は言う。人が人を人間扱いしていない、と。
さらに王子さまは列車の旅客が何を急いで、何を探しているのか尋ねる。

「それ、機関車に乗ってる男たちが知らないんだよ。」

 痛烈な現代人への皮肉だ。スイッチマンは言う。
「人間ってやつぁ、居るところが気に入ることなんて、ありゃしないよ。」
人間は本当は「根っこ」が欲しいらしい。自分の気持ちの安らぐ居場所。(以下、僕のオリジナル)でもそれは田舎というわけではないだろうし場所とは限らない、人であるかも知れないし、思想であるかもしれない。

 次に王子さまが出会ったのは「丸薬のあきんど」。人間は水を飲むのに使う時間は1週間に約53分であり、その「丸薬」を飲めばのどの渇きがおさまるという。だからその分時間の節約になるというのだ。
 王子さまは聞く
「で、その53分って時間、どうするの?」
「したいことするさ・・・・・」
王子さまは人間の目的のなさにあきれてしまう。

 著者はラッセルの「幸福論」からどうすればよいか答えを探る。

「『人生の大目的』と『宇宙との一体感』を持ちなさい。」

何か1つ夢を持てば、その他多くの嫌なことも苦にならないというのだ。確かに納得できる。さらに宇宙規模で見れば少しくらい嫌なことがあってもとても小さなことに思える。「霊的な視点で見なさい」ってか?それが簡単に出来るなら僕は今ここに居ない、などとすねてみても仕方がないが、思い出した時にはこれをやっている。自分が空へ向かって上昇していき、日本が見えアジアが見え地球の丸さが分かり、その地球も小さくなるほど離れてしまうイメージをする作業だ。
 もう一つ
「心を分裂させないこと」
だそうだ。つまり自分の本質的な願望と、現実的な状況に流されて判断している行動が乖離していてはだめだという。「理想と現実は違うよ。」と誰でも言うものだ。しかしそれを諦めることは、幸福になること自体を放棄するものだと言っている。

 (以下直接引用)
 誰かがあなたを幸せにしようとしても、あなた自身の心が分裂しているのだとしたら、そのどの部分を手助けしたらいいのか、相手にはわからない。神は自ら助くるものを助く。自分がどう助かりたいのかわかっていない人を誰も助けることは出来ないのである。まず自分で、どう助かりたいのかを決めることが重要なのだ。
 その決め方は『人生の大目的』を見極める。そして心の中をその、たった一つの目的で統一する、そうやって迷いなく生き始めれば、自然に体の中から驚くほどのパワーが沸き上がってくる。やりたいことをやるのだから困難があったとしても毎日の行動が楽しくなってくる。楽しければ気持ちが明るくなって人生は素敵だなと思える日々がやってくる。

そうなった状態を、ラッセルは幸福と呼んだのである。

幸福とは人からもらうものではない、自分で作り出すものなのだ。
(引用終わり)

自分自身へ言い聞かせるつもりでこうして書いているわけである。

(まだつづく)

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2006年1月30日 (月)

幸福論2(不幸の原因)

 星の王子さまの幸福論には「幸せになるために大切なこと」が40項目ある。
・・・・・あの、多すぎませんか?
とも思うかもしれないが、割に当たり前の事が多かったり、簡単な事も多い。もちろん難しいぞと言いたくなることもあるが、以外に「~をしなさい」というものは少なく、法則的なものが多い。拙ブログではそれらを全て紹介するつもりもないが、気になった所を紹介する。

 先日のエントリーで星の王子さまが出逢ったa,b,cのタイプの人を挙げた。

(引用開始・少し変えてます)
a最悪に不幸なタイプ
  呑み助で「酒を飲んでいる自分」を忘れようとしている人・・・「現実逃避への疑い」
b不幸の入り口タイプ
 ①王様で権力好きだが権威に傷が付くのをおそれる人。・・・「権力への疑い」
 ②うぬぼれ屋で誉め言葉しか耳に入らない人。・・・「賞賛・名誉への疑い」
 ③実業家で仕事中毒、金儲けに躍起になっている人。・・・「財産への疑い」
  ④地理学者なのだが自分の目で何も見たことが無い人。「知識への疑い」
c王子さまが理解できるタイプ
ガス灯に毎晩火を灯し、毎朝火を消す人、点灯夫。
(引用終了) 

著者はここから「何かおかしくないか?まず疑ってみろ」という。「理性」を働かせろと言っているのである。

 さて不幸の原因を挙げる

「自己没頭の病気」

なのだそうだ。つまりa,bのタイプは「自己マニア」の状態にあるという。そして自己マニアは自分自身を追いつめていくのだそうだ。これはイギリスのラッセルという人の「幸福論」にあるらしい(読んでいないもんで:今後省略)。よく聞く言葉で言えば「利己主義」となる。さらに原因は「ねたみ」「心配事」であるという。特に「ねたみ」はいくら出世してもねたむ相手はなくならないと言っている。

 これらを解消するにはどうするか?

興味を外へ向けるんだ。そしたら幸せの種が見つかる。

このような事が書かれている。始めに断っておくが「利他愛」とまで言える概念は出てこない。

(つづく)

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2006年1月29日 (日)

幸福論1

幸福論という本がある。

ラッセルによる「幸福論」
ヘルマン・ヘッセによる「幸福論」
アランによる「幸福論」

この3冊が20世紀に書かれた代表的な「幸福論」なのだそうだ。(そのほかにもたくさんありますが)しかしこの3冊を僕は読んではいない。それで何を書くのかと言われそうだが、まず読んだのは

「星の王子さま」  サンテグジュペリ作

これはとても子供向けの絵本などではない。実は「星の王子さま」と一緒にこの本も買ってきた。いやこの本が出たというのを知って、共に買ってきたというのが正しいが。

「星の王子さまの幸福論」  渡邊健一著

これは上記のラッセル、ヘッセ、アランの「幸福論」を引用し、「星の王子さま」の底に流れる「幸福論」を解説している。心に響くね。是非とも3冊を読もうと思っている。

 さて「星の王子さまの幸福論」である。
 誰でも「幸せになりたい」と言う。では「幸せ」って何?そう問い返しても完璧に答えられる人は少ないのではないだろうか。
 星の王子さまは自分の星でバラの世話をする毎日を捨て、宇宙へ旅立つ。その先で様々な人と出会う。そこで王子さまは思う。
「それでいいのかな?変だな」

 著者は王子さまが出逢う6人の人達を3パターンに分類している。

a  最悪に不幸なタイプ
  酒を飲むことで「酒を飲んでいる自分」を忘れようとしている人

b  不幸の入り口タイプ
 ①権力好きだが権威に傷が付くのをおそれる人
 ②うぬぼれ屋で誉め言葉しか耳に入らない人
 ③仕事中毒で金儲けに躍起になっている人
  ④地理学者なのだが自分の目で何も見たことが無い人

c  王子さまが理解できるタイプ
     ガス灯に毎晩火を灯し、毎朝火を消す人、点燈夫

cはa,bとは違う。何が違うのか。星の王子さまの言葉を借りれば

「あのひとが、じぶんのことでなく、ほかのことを考えているからだろう。」

今後数回に分けてこれについて思った事を書こうと思う。

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2006年1月23日 (月)

東野圭吾氏の作品を読む

 東野圭吾氏、直木賞受賞。
 そんなわけで歴史小説、歴史考証物好きの僕にとっては全然知らない作家だったが、1冊買ってみた。

「時生(トキオ)」

他の作品はまだ読んでいないので、この作品が全体のどの程度の位置づけになるのかはよく分からないが、なかなか良かった。
 別にネタバレということにもならないと思うのでそのまま書く。感想というのとは少し違うが、基本的に作者は
「肉体が人間の本質ではない。肉体は道具である。」
という立場で準主人公を動かしている。そしてまた面白いのは
(以下引用)
「そら誰でも恵まれた家庭に生まれたいけど、自分では親を選ばれへん。配られたカードで精一杯勝負するしかないやろ。」
「たしかにあんたもかわいそうやと思うけよ。けど、あんたに配られたカードは、そう悪い手やないと思うけどな。」
(引用終わり)

うまい言い方だなと思う。

修行のための人生設定とその中での自由意志というものを非常に分かりやすく説明している。(本人はそのつもりは無いかと思うが)もちろんそれが真実だと言い切れるわけではないが、そうかもしれないなと思うときは確かにある。

 でもそんなことばかり考えていても前には進めないなと思い、目の前にある仕事をしようと思うわけである。


※以下の評価は僕の物ではありませんので悪しからず。

時生
時生 東野 圭吾

おすすめ平均
stars心を動かされる親子物語
starsSF+ミステリー+ヒューマンドラマがてんこ盛り
stars感動で涙が止まりませんでした・・・・・・。
stars30~40代の父親には、たまらない作品だと思う
stars過去、漫画、未来

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2006年1月21日 (土)

家族関係

 相変わらず父親とは衝突する。

基本的に「お天気屋」であるため機嫌が良いときは呆れるような度量の広さを示すが、逆になるとまともな話は出来ない。僕の母親も随分今まで苦労してきた。
「いい所もあるんだけどね。」
と庇うあたり、認めているところは認めているわけである。

 しかし僕にはなかなか難しい。父親は一つ気に入らないと何もかも気に入らず、全てを否定する。何でもかんでも同じ鍋にぶち込んで火を付けるから料理にならない。結論ありきで話をするから人の意見は全て反論として受け止め話し合いにならない。だから何も言わなくなる。そうすると「話をしない」と言ってまた頭に血を上らせる。全部悪循環。だから家族は出来るだけ怒らせないようにしてきた。

 十数年家から離れていた僕には、母親とその辺の呼吸にズレがあるのは当たり前だった。仕事が忙しくなると父親はプリプリし始め、レッドゾーンに達すれば誰かの仕事のミスで爆発する。原因の1点のみの爆発ならば皆納得するが、どうでもいいことまで話が及ぶので僕が反論する。この時点で火に油を注ぐようなものである。
 だが母親はよくしたもので、丁重に謝りさっさと話題を変えて仕事とは違う話をいつもの調子で話し出す。あれだけ怒鳴られてよく平然としていられるものだと感心するのだが、自分なら口もきかんだろうと思うことはしばしばだった。
「言わせときゃいいのよ。」
年の功である。

 頑固という字を人間にするとこうなるといったそのままの父親である。1本気で自分の思うようにならないと怒り出すが、仕事は徹底的にやりきる。子供の頃から怖い父親であった反面、確かに頼りになる男だった。

 完璧な人間などいないし、良いところも悪いところ共に持ち合わせているのが人間なんだよな。もしこの父親が完璧に近い人間だったらこの僕はどうなっていたのだろう?そんな疑問はまだ早い。この父親だから今後まだまだ影響を受け続けるだろう。そこにある意味にまだ気づいていないことがたくさんあるはずだ。人生の計画など分かるわけない。

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2006年1月20日 (金)

人体のメカニズム

昨年ソフトバレーに数回参加した。

自称スポーツ万能。

苦手なのは卓球、バスケットボール、長距離走、ハンドボール、野球、テニス、その他数えるほどしかない。

 準備運動もせずに始めたのがいけなかった。帰ってきてから、いや、やっている最中から首そして右肩あたりまで痛みがあった。次の日には首が回らなくなっていた。これは、まずい。そんなわけで整体にかかった。1時間ほど痛みを我慢し治療を受け、それなりに痛みは引いた。
 これで一件落着と思っていた。・・・・・甘かった。

右手の親指が痺れるのである。

はじめは何かで爪を痛めたのだと思っていたが、どうやら首の骨が神経に触れているのではないかと思われた。本日別の整体治療院へ行って来た。

 整体と一口に言ってもいろいろあるもんですな。

先生はおばあちゃん。部屋に入ってから問診を受けた。首を痛め、治ったのだが指が痺れる旨を告げると、原因は推測どおりだろうとのことで治療に入った。
 Tシャツで腹這いになり触診。筋肉を柔らかくしないといけないということで「針」を打たれた。緊張したが大した痛みは無く、10分ほどしてから本格的な治療となった。首をゆっくり回され最後に「グイッ」、「ゴキッ」、「痛っ!」。左右両方同じ事をされた。こういうのは現代医療ではどうなんだ?とも考える。その後腕を取られて極められた、ではなく間接の治療、最後は親指へ。

そこで意外な発見。

僕の手の親指には、付け根から間接までの間にほとんど(全くといえるかも)筋肉が無い!
普通の人は同じ太さで伸びているのだが、僕の場合親指が

「くびれている

(だから何さ)

 とりあえず今日は終了。改めて部屋の中を見渡すと、人体のツボの位置を示した図や各種免許、中国の整体の免許もあった。ちなみに中国の整体の免許は2年しか有効期間がなく、その後は再度試験に合格しなくてはならないそうだ。日本の医者は一度国家試験に受かれば永遠に医者でいられる。この点については中国のシステムの方が良いだろう。医師免許の上にあぐらをかいている日本のやぶ医者も緊張感が持てると思うのだが。といっても中国なら無免許で医療活動をやっている人が相当いそうな気もするけど。

 ともかくまた数日後来なくてはいけない。別に普段の生活に支障はないが、違和感が無いに越したことはない。
 人間の体は本当に精巧にできているものだ。

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2006年1月19日 (木)

剣道の心

 剣道において段位とは強さを示すものではない。
 
 
 
 
が、実力が無くては当然昇段はかなわない。つまり(強い事)=(実力がある事)ではない。
 
 学生時代、師範からこう教えられた。
 
「打って勝つな」
「勝って打て」
 
ある程度修練を積めば、相手の実力というものは構え合っただけで分かる。言葉にすれば「気迫」・「威圧感」としか言いようがない。実力とはスピード、スタミナ、腕力、瞬発力といった数値的に計測できるものの他にもたくさんあり、それらの占めるウェイトの方が大きいかもしれない。この気迫の違いで動く前に勝敗が互いに感じられる事も多い。
 筋力を付けたり、スタミナを付けたりするためには具体的な方法がある。しかし気迫を強くする修行というものは誰も知らない。毎日の修行の中でいつの間にか身に付く。また誰もが多かれ少なかれ元々持っている物だとも思う。気迫とは怒りではない。剣道は武道であり極端な話かつての殺し合いの技術であったといえる。だからといって気迫は殺意ではない。「やる気」と言っても頷ける部分も多いと思う。
 
 
 
 柔道はすでにワールドワイドな競技でありオリンピック種目でもある。剣道は世界大会などはあるが、柔道に比べれば遙かにマイナーな競技である。僕個人としては別に無理をして世界中に広める必要は無いと思っている。柔道は世界に広まり、多くの人が取り組んでいる。それは大変良いことだと思う。ただ・・・何か無くしてしまった物があるのではないかと思うときがある。
  剣道では勝ったとき、1本取ったときに「ガッツポーズをとる」行為は許されない。それを行えば取った1本は取り消される。僕も実際に試合の際、相手のその行為によって取られた1本が取り消された経験がある。なぜか?
 
それはガッツポーズは敗者を貶める行為である、と考えるからである。
 
本来は殺し合いであることから、もし真剣で斬り合った場合たまたま相手に致命傷を負わせ自分が勝ったとしても、一つ間違えれば逆の立場であった可能性も多分にあったわけである。そう考えれば、単純に喜べるものではない。
 世界に剣道を広めようとしても、この辺の意識が理解されないと恐らく形だけの「スポーツ」になってしまうだろう。下手をすればフェンシングのような判定機が導入されるかもしれない。武道の一本は「心・技・体」すべてが充実して一本である。機械には「技・体」しか判定できないだろう。
 
「心」をはかることができるのは人間だけ。そしてその「心」を鍛える事が武道の目的でもある。
 
いろんなスポーツの選手でも1流の選手はそれを知っていると思う。
 
高橋尚子さん頑張れ!(なんじゃそりゃ)

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2006年1月15日 (日)

食は文化だが・・・

 中国、韓国では犬を食べる文化がある、と何度も耳にし何かで読んだこともある。僕自身は食べたことも無いし、食べたいとも思わない。
 しかしそれをもって蔑む気持ちは無い。食は文化である。牛食う人々が犬食う人々を笑えるはずもない。牛食う西洋人が鯨食う日本人をバカにする。何が違うのかね。

 ここまで来て考えが中国の食人文化に至ってしまい、気が重くなってどうにも筆が滑らない。「肉食がいけないと知った者にとってはいけないこと」だったはずだ。この「知る」という状態が正確にどういった状態なのかはよく分からない。子供に「むやみに生き物を殺してはいけません」といえば大抵納得するだろう。だがこれで全てを理解したとは思えない。では「人」はどうなのか。そんなことは考えただけでもおぞましい。

 こんな短い文章なのに、読み返してもちゃらんぽらんの内容だ。どうもすいません。

 なお中国の社会については、下記のブログで爆笑しながら知ることが出来る。新しいブログを発見しても過去の日記まではまず読まないのだが、これだけは初めからぜんっっっっぶ読ませて頂いた。中国社会を改めて知ったり、やっぱりなと納得したり、相当楽しませてくれるブログだ。

       中華的生活「多少銭?」

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2006年1月14日 (土)

コンスタンティン

 昨日、中古のDVD「コンスタンティン」を買ってしまった。(映画館でも見たけど)キアヌ・リーブス主演の映画である。

 これがまたよく聞く言葉が出てくるわけである。「自己犠牲」「利己」「神」「天国・地獄」「霊能力」、全くオブラートにくるまず直球で投げ込んでくる。見ようによってはファンタジー・オカルト映画になってしまが、普通は正義の味方の超能力者が悪魔を倒す事になるところを、この主人公は自分の能力が嫌いで自殺未遂までしたりするわけだ。しかし自分のためにやっていた仕事が人のために・・・と変わっていく。

 この映画監督、フランシス・ローレンスの他の作品は知らないのだが、キアヌ・リーブスは「マトリックス」は言うに及ばず「リトル・ブッダ」ではシャカを演じたり、こういった役が多い。何か意味があるのかな?

 コンスタンティンで検索していくつかのブログを覗いてみたが、
「可もなく、不可もなく」
「キリスト教の知識がないとよくわからん」
といった評価が多かった。そうかもしれないがスピを知る人は違った見方をするだろうな。

(おまけ)
 互いに人のために尽力して国と国が友好関係を築いたのが日本とトルコである。2002日韓サッカーワールドカップのときに話題になったが半分忘れていたエピソード。今回小泉首相がトルコ訪問したことでいくつかのブログで紹介されていた。それに便乗してここでもフラッシュを紹介する。(少し時間がかかるけど)

日本とトルコの友好秘話 

トルコへ遊びに行きたいと思う今日この頃。

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2006年1月12日 (木)

 我が家では3種類の水を使っている。

 第1の水は市の引く上水道の水である。
 第2の水、同じく水道で使っているのだがこれは何かというと、上水道の配管とは別に南側の山から流れてくる川の水を中腹で貯水槽に一時ため、各家庭に引いているのである。これを「山の水」と呼んでいる。これは新しく入居してきた家にはなく昔から住んでいる家にしか引かれていないローカル水道である。この川は山と山の間を流れる谷川の川ではなく、山が繋がる方向と直角に流れるものである。そのため上流には民家がなく汚れる心配はない。ただし、その水を利用している住民は年に1度か2度貯水槽に溜まった土砂の掃除に行かねばならない。そんなことはお安いご用だ。何と言っても無料である。今までは上水道の方が消毒されているから安全!という考えで来たため台所で食事に使う水はそちらだった。しかし塩素殺菌等行うのは実は水を汚染しているのではないかという考えが広がる昨今、市の水より山の水の方がどう考えても健康に良さそうなものだ。

 しかし気分的に山からの流れてくる川の水には何があるか分からない、というのがあるためやはり料理用には使っていない。そこで第三の水である。

 湧き水を取りに行くのだ。

 「山の水」と似たようなものだが、川からのものでなく一度地下に沈んだのちまた地上に吹き上げている水なので「濾過」されているようなものだ。これは高賀の森水と呼ばれる水である。かつてマラソンの高橋尚子選手がシドニーオリンピックに持参したため一気に有名になってしまった。それまで誰もがタダで汲んでいたが、水槽を積んだ車で取りに来るオロカ者が現れケンカまで起きるようになったため、住民の間で「高い料金を取ろう」ということになった。しかしその話が本格化しかけたとき隣の高賀神社の鳥居がぶっ倒れるという事故が起き、怖くなった住民の間でその話は無くなったという。(注:母親の婦人会のうわさ話。本当かどうか確認してはいない。)今では18Lにつき50円という料金設定となっている。

 この水がよろしいのである!!

 電気ポットでこの水を湧かしていたが、1年間使い続けても内部には何のカスも付着しなかった。会社でカルキのこびり付いたポットを使っていてこれを見た後では、とても市の水道水など飲めるものではない。
 ここの水はペットボトルに詰めて市販されている。

高賀の森水

また町の喫茶店やレストランからもわざわざ汲みにくる人も多いらしい。
「コーヒーの味が違うってお客さんから言われるよ。」
そんな話も聞いた。おかげさまでこの水で炊いたご飯、みそ汁、コーヒーを毎日頂いている。

これはとても贅沢なことである。

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2006年1月11日 (水)

肉食持論

 半年ほど肉食を控えていた時期がある。が、今はそれをやめている。控えていたといっても完璧に口にしなかった訳ではなく、外食しても肉がメインの定食を避けたりその前にそのような店を選ばなかったりした程度だった。それでも実行するには結構気を遣い苦労した。肉を使わない料理は本当に少ない。それだけ人間は肉を食べているわけである。

 もとに戻した理由だが、まず挙げられるのが

「やってられない。」

のである。仕事で飛び歩いている身で肉を避けた食事をするのはどだい無茶な話である。肉の少ない食事を注文してもいくらかは入ってくる。それを1つ1つつまみ出していくわけにもいかない。
 
 そしてもう一つ。これは自分で書きながら「詭弁」だと思わないでもないのだが、

「食べてあげないとかわいそう」

てな具合に思うのだ。もちろん殺した側の一方的な理屈であることは充分承知している。しかし既に屠殺され、解体され、調理され、皿に盛られている「肉」に対して心で涙を流してみてもその動物は生き返らない。むしろそれを「食べない」ということは食用にすらせずに単なる「虐殺」された後、廃棄されるという結末を迎える事となる。その方がはるかにむごい。誰かの空腹を満たしその人間がまた誰かのために働く活力となれば、その動物の死にも意味があることになる。再度書くが、これは僕が考える人間側の一方的な理屈である。他の人には他の意見があるはずだ。
 
 現在でも選択肢のある限り、肉の少ない食事をしようとはしている。しかし友人と焼き肉に行くこともある。そんなときは・・・・・素直に諦める。のだ。仕方ないじゃないか、美味しいしさ。

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2006年1月 8日 (日)

拉致問題

新証言・拉致―横田めぐみを救出せよ! 新証言・拉致―横田めぐみを救出せよ!
安 明進 太刀川 正樹

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 1月2日に買ってまもなく読み終わる。 5日はついに(というほどのものでもないが)拙ブログのサイドバーにブルーリボン放送を設置。また同じく5日ブルーリボンシールを注文し、7日配達されてきた。6日の新聞で「横田めぐみさんの拉致は、シン・ガンスであると曽我ひとみさんが証言。」という報道。7日は岐阜市内で救う会岐阜による署名活動があったが残念ながら仕事で行けずじまいだった。BLseet

 今年は頭から「拉致問題」にどっぷり浸かっている。電脳補完録からブルーリボンシールは3セット(1枚80個のシール、1セット15枚。・・・結構あるな。)買った。年賀状も終わり何に貼るべきや・・・とも思いつつも人にあげようと思っている。申込先は東京の方なのだが、シールを印刷しているのは岐阜市内の業者だということで自分で取りに行った方が早いようなものだが、運動の輪の拡大と共に運動の活動資金の応援にもなっているのでそのまま申し込んだ。

 さて上記の本である。
 著者は安 明進氏、元北朝鮮工作員である。メディアへも何度も出 ている。その工作員は韓国へ亡命、拉致問題解決のため祖国を糾弾し日本へ様々な情報を提供している。もちろんかつての同僚からいつ暗殺されても不思議ではない状況にある。
 優しい目をした人だ。とても工作員という顔ではない。そんな事を思いながら読んでいる。北朝鮮の工作員教育、彼が本国で実際に接触した日本人の拉致被害者についても書かれている。今回曽我ひとみさんがシンガンスについて証言したわけだが、本来なら帰国された5人からもっと多くの証言が得られそうなものだと思っていたが、北朝鮮はそうは簡単に返すわけもなく様々な要因があり口を閉ざしているらしい。
 拉致被害者・寺越武志さん(政府認定されず)の母友枝さんはある政治家事務所へ「拉致被害者の認定」を求めたが
「40年も黙っとって、何でもうちょっと黙っておれんか。ほんなに騒いだら殺されて、交通事故にあって死んだと言われますよ」
と言われたそうである。
 拉致被害者、蓮池薫さんの兄透さんは被害者救済のため東奔西走されているが、活動のために会社の有給休暇をとり旅費は全て実費で賄い、国などからの援助は全くないそうである。何というバカバカしさかと改めて国の弱腰に腹が立つ。
「朝日、外務省は北朝鮮の走狗か」
とは蓮池透さんの言葉である。北朝鮮というボスキャラと戦う前に日本政府を「説得」せねばならず、他方で「国内の売国勢力」の妨害を排除せねばならないのである。

 ちなみに政府が拉致認定をした被害者はわずか16人である。それに対し「救う会」が認定した人は200人を越える。更に恐ろしいことがある。拉致被害者5人が帰国されたのは2002年10月であるが、拉致された可能性が高い人物の失踪日は2003年10月5日である。北朝鮮の拉致が表沙汰になったからといって、これ以上の拉致は発生しないとは言えないのである。

 北朝鮮の拉致は韓国人も多いらしい。日本人同様工作員の教育にあたる事も多いという。著者は拉致されてきた韓国人教官がつぶやくのを聞いたそうだ。
「将来、あなたがたが韓国に行ったとき、海岸で何も知らず遊んでいる子供だけは連れてこないでください」
読んでいて思わず目頭があつくなった。

 拉致被害者全員が1日も早く帰国できることを望むばかりである。

追伸
 遠からず北朝鮮は崩壊するだろう。それに向けて
「くたばれ!カイザー!」(by  銀河英雄伝説
なんてのもよいかと思うが、如何せんあのヴィジュアルでは様にならない。
 崩壊後、金正日は国民からどのような扱いを受けるか分からない。もし出来ることなら、日本へ連れてきて同じ金ちゃんということで、
「欽ちゃん走り」
をさせてみたい。相当絵になると思うのだが。

めぐみ〈後編〉
めぐみ〈後編〉 横田 滋 本 そういち 横田 早紀江

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おすすめ平均 star
star本作品における在日朝鮮人の描かれ方
star読むのが本当に辛かった。最後まで。

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2006年1月 4日 (水)

歳はとるもの

 3日は一応休日となった。ぼけーっとしていると、ブログを書く内容を考えることもなく何となく時間が過ぎていく。人間やはりある程度忙しくないといかんな。勿論忙しすぎると、生きるために働くのか、働くために生きるのか分からなくなる。バランスだな。

 再度、皆様明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。

さてNEWSとKAT-TUN というジャニーズboysの

違いが分からない 皆様(笑)

いかがお過ごしでしょうか。

僕は誰がどちらなのかさっぱり分からない。

だいたい昨年の国際バレー大会で騒いでいたのは同じグループだと思っていたぐらいだから、もはや末期症状である。僕と同じ症状を患っている、そんな皆さん!!

若さだけが全てではないですぞ。

んが! 身だしなみを整え、お洒落をし、颯爽と出かけることは素敵だ。

いいじゃないか年相応で。

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2006年1月 1日 (日)

謹賀新年

明けましておめでとうございます。

今日が仕事始めです!!

なんともはや・・・・・

そんなわけで、12月31日があけて今日は新年元旦というより、13月1日になったというのが実感ですな。 とほほほ

ま、ともかく今年も半分はくだらない事書きながらやっていくつもりですが、よろしくお願いします。

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