世のスピリチュアルってやつ
スピリチュアル、スピリチュアル、猫も杓子もスピリチュアル。
愛も感謝も必要だけど、なんか違うぞスピリチュアル。
ネットを見ていても「スピリチュアル云々・・・」と宣っておられる御仁より「ここが変だよスピリチュアル」って言っている人の方に共感してしまう部分が実は多い(笑)。
なぜか?
それは彼らが自分で考えているからだ。
「死後の世界はあるのか?」
「肉体が消滅すればそれまでではないのか?」
「背後霊・守護霊なんていうものはいるのか?」
事実は霊訓に書いてある通りかもしれない。しかし身も蓋もない言い方をすればそれはただの
「カンニング」
でしかない。しかし疑問を持つ人々は自分で考えて現在の意見を持っている。はっきり言って、何が正しい事実がどうであるかはどうでもいい。
もし自分が「死後の世界の存在を信じるか?」と聞かれれば「Yes」と答える。
なぜか?
それは自分の存在そのものがあまりに唐突だからである。要するに気が付くと存在していたというわけだ。それがとても不自然に思えるからだ。
「なぜ戦争中に生まれなかったのか?なぜ幕末でないのか?なぜ江戸時代でないのか?なぜ戦国時代でないのか?なぜ縄文時代でないのか?はたまたなぜ日本なのか?なぜアフリカでないのか?」
つまり、なぜ今なのか?という、こんなどーしょーもない疑問を持ってしまうと、誰も答えられないと知りながら悩んでしまう。
そこで結論。
「死後の世界はある。なぜならそうでないとおかしいから」
どう見ても説得力ゼロである。しかしやはりそうでないとおかしいのである。
・
・
・
シルバーバーチらがもたらした「スピリチュアリズム」(厳密にはこの言い方は正確ではないが)どういうわけか彼らを崇拝する人は多い。「尊敬」はいい「敬愛」もいい。しかし「崇拝」は変だ。
今日はサッカーのオリンピック予選の壮行試合をやっていたので見ていた。(TBSというクレイジー放送局だが仕方がない)
サッカーに限らないが、スポーツにはルールがある。当たり前だ。ルールを破ればそれに対するペナルティという更なるルールがある。その一定のルールの中で選手はプレーをする。
審判はそのプレーがルールに照らして正しいか間違っているかを常に監視している。そのジャッジは常に「公平で公正」でなくてはならない。そういう審判に裁かれる試合は荒れない。選手もその審判を信頼してプレーをする。そのようなジャッジを下す審判を選手は「尊敬」する。しかし当然の事ながら「崇拝」はしない。選手が全力で向かうのは相手チームのゴールであり、その目的は勝利であり、相対するのは相手のプレーヤーである。目指すべき対象に「審判」がいるはずがない。
スピリチュアリズムもそれと同じはずなのだ。シルバーバーチに向かって生きるのは本来の生き方ではないと思われる。守護霊に祈っていればどうにかなるものでもない。その辺りから人間の社会生活がズレてくる。カルトと違って財産を献上しないだけまだマシかもしれないが。
一旦サッカーグラウンドに立ったならボールを追わなくてはならない。そして味方とパスを繰り返し、あるときはドリブルで切れ込んで、最後にシュートを決めて得点を取らなくてはならない。グラウンドの上でぼーっとして「味方が勝ちますように」と祈っていても意味はない。祈っていいのはグラウンドに立てない人間だけ。
スピリチュアルの疑問を呈する人の意見に対して、一応霊訓を読んだ人間として「それはこうらしいですよ」と言えないことはない。しかしそれ自体がただの受け売りでしかない。仮に臨死体験でもしていれば少しは納得させることも出来るかもしれないが、やはり個人的な体験でしかなく、普遍的な証明にはほど遠い。
「スピリチュアリズムではこうだ!!!」
そんなことを言うよりも、自分の理性で考えて自分なりの結論を出す「彼ら」の方がどう考えてもまっとうに思える。もう一度書くが、それが正解でなくてもいい。
こういう事を書くとまるで自分が上から見下ろしているような感じがして、はなはだ気分が悪い。どうも堂々巡りをしているような気がする。
| 固定リンク











コメント
こんばんは。
確かに、自分も「霊界」の存在を、半ば無理に信じ込ませているのかなー と時々思ったりします。
おっしゃる通り「カンニング」ですよね。
でもこればっかりは霊的な体験を自分でやらないと、ドウシヨウモナイですよなー
でも、そう信じてることで、今の生活で降りかかる幾多の困難を何とかして潜り抜けられたのも事実でありまして・・・
ま、この「信念」は「その日(2012年12月22日かどうかは分かりませんが・・)」がくるまで変わらないでしょう。
投稿: 帰化人 | 2007年2月22日 (木) 00:08
帰化人さん、こんばんは。
>でも、そう信じてることで、今の生活で降りかかる幾多の困難を何とかして潜り抜けられたのも事実で
>ありまして・・・
僕も同じです。本当だと思えるから頑張れる事はとても多くあります。でもそれはある程度の知識を得た上での話なんですよね。スピリチュアリズムで取り上げる話題は、霊能力の無い人間が1人で答えを出せるようなものではありませんから「向こう」から教えてもらうしかありません。ところがその答えの受け取り方が違うんですよね。例えば
「死後の世界があって、人間は再び生まれ変わる。」
シルバーバーチとしては正解なのですが、そこだけかいつまんでしまうと、「きつい今の人生をやめてもう一度生まれ変わろう」ということになりかねません。それならば「人生は一度きりだから精一杯生きるべきだ」と言う方がよほどまともです。
(もっとも「1度きりなら好き勝手やったほうがいい」という考えもあってここまでくるとどうしようもないですが。)結局カンニングしてもその問題と答えを消化できなければ意味はないわけですね。
さらには、おかしな霊の暴言も「霊言」としてごちゃ混ぜになっている現状ですから、「守護霊様がこういったから」というレベルで進んでいくと、えらい事になりかねません。
とはいえ、「霊などいない。科学は万能だ」という人とも結局は平行線になることはわかっていますので、最終的にはブログで書いてみたりするわけで、やっぱり難しいですね。
投稿: ケンジ | 2007年2月22日 (木) 22:39