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2007年2月15日 (木)

日中2000年の不理解 2

京都・奈良は言うに及ばず、日本には数多くの神社仏閣があり日本庭園も多く自然に触れられる場所は多い。人はその自然に没入して静寂を求めるらしい。

1度だけ京都の竜安寺に行ったことがある。枯山水の傑作といわれる竜安寺の石庭だが、そこを訪れた人は何も言葉を発しない。座ってただ庭を見ている。外国人も多かったがその外国人も黙ってそれを見つづけていた。

これに対し中国の都会では静寂を求めるのはとても難しいという。関帝廟はどこも雑踏の雰囲気に包まれているのだそうだ。

さて、

「古池や蛙飛び込む水の音」

松尾芭蕉の有名な句だが、中国人にはこれが理解できないのだという。日本を研究した中国人の解釈をいくつか挙げておられる。

「青蛙が古池の中に入ると、古池は清らかな響きがした」
「古い池の岸辺、小さな蛙が水に飛び込んだ。清らかな音がした」
「幽静な古池、蛙がぽちゃんと飛び込んで、波紋が何本か広がっていった」

著者によるとこの句は時空を越えた静寂の世界を詠んでいるのだという。勇気を出して個人的な解釈で書いてみる。それまで静かだった池にカエルが飛び込む「ポチャン」という音、その後は何の音もしない。それがかえって静寂を際だたせている。(一見矛盾しているようなこの理屈、結構真理なのかもしれない。)他にも、「鹿おどし」なども同じ理屈になると思われる。

著者はこの句を理解している。これまでの中国人の解釈は本当の意味が分かっていないと言い切る。しかし日本文化の核の部分を理解するのは外国人にはいかに難しいものかと言って擁護もしている。

日本人というのは自然融合感を求める民族なのだそうだ。

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