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2007年2月13日 (火)

日中2000年の不理解 1

忘れないうちに「日中2000年の不理解」について。

はじめに書かれているのは動物観の違いについてである。中国人は
「なぜ、人間より動物の写真が大きい?」
日本の新聞を見てそう思うのだそうだ。
「なんでって言われてもなあ?」
気にしたことも無かったが、言われてみればその通りである。本でも指摘されているが、トキの話にしろ、タマちゃんの件にしろ、中国ではありえないという。まして夏目漱石の「我輩は猫である」のような動物の目線で物を見るというのはかなり異様なのだそうだ。今まででもテレビなどで、低い目線で犬や猫のセリフとしてナレーションをする番組もあったが、日本人としては別段違和感は無い。また子供の童謡や昔話にも動物が出演していないものを見つける方が困難らしい。

中国ではなぜそれほど日本人が動物と連むのを不思議に思うのか?

それは儒教国家であるからだ、なのだそうだ。儒教においては「人間様」があらゆる生き物の最高位に置かれている。つまり動物は格下であるというわけだ。
孔子の言葉にもある。馬小屋が火事になったとき孔子は
「人にケガはなかったか?」
と尋ねるが、馬のことは問わなかった。この話を著者は引き合いに出している。

これに比べて日本における生物の死の扱い方である。ケンタッキーフライドチキンの日本支社は鶏の供養をしたり、岡山では死んだ牛の鼻輪を積み上げて供養塚を作ったり、宮城県ではウナギの供養のための塚もあるそうである。こうなると中国以外からも相当変な目で見られるようだ。ましてや徳川綱吉の発した「生類憐れみの令」というのは中国人をぶったまげさせるようだ。さすがの日本人もこれは行き過ぎだったと思っているが。

さてその中国も今や空前のペットブームだという。

文化大革命の頃はペット飼いはブルジョア趣味として人民の敵とみなされたという。それが今や2008年の北京オリンピック開催に伴い動物愛護精神も盛り込まれるそうで、日本から盲導犬育成もスタートしているという。さらにパラリンピックも見据え、身体障害者補助犬への感心も高いという。

何をしているのかといえば、大きな国際大会があるんで必死に外面を取り繕おうと躍起になっているだけだな。動物愛護を否定するわけではないが、その前に自国民を愛護したほうがいいんじゃないの?ってその理屈は前に述べた「儒教精神」と見事に矛盾するんだが、これはいかに?
(蛇足ながら、韓国のソウル五輪後のパラリンピックでは身障者の競技が放映されると
「気持ち悪いものを見せるな!」
という抗議の電話がテレビ局に殺到したため、放映が中止になったという。北京ではどうなることやら。)

著者は中国人なので日本はなぜこうなのか?と考えるわけだがその理由を述べている。

やはり風土的な物ははずせないらしい。日本は自然災害の標本国といわれるほど災害が多いのだそうだ。しかしそれを受け入れ一体となって生活してきたからだという。

(以下引用)
気ままな自然と付き合うにはどうしたらいいのか。自然に溶け込み、自然の法則に添うことである。行きとし生けるものの一部として自分たちを意識するようにもなる。日本人の動物観も自然の摂理を抜きには考えられないとみている。自然の中で共存している動物を同じ自然の仲間として扱っている。子ネコがビルの狭い壁の間に入り込み、出動した消防隊による救出劇がマスコミの話題になる国は動物に優しい文化である。
(引用終わり)

なんか中国人に自然の摂理とかいわれると妙な気分なのだが、日本人は幕末までは肉も食べる習慣は無かったわけで、それこそ今より自然の摂理に即した生活をしていたのではないかと思える。勿論それは1つの側面であって良くなっている所もたくさんあると思うんだが。(少し自信がなくなっている)

でもね、崖っぷちで右往左往している犬の救助というのはテレビ局が生中継しなければならんようなことかね?もっと優先的に放送する事がありそうなもんだが・・・・・。そんな事を考えてしまうのは日本人的発想から離れてきているような気もする。

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