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2007年11月20日 (火)

チャット戦史

「神様、それではあまりにも日本が恵まれすぎています!」

「心配ない。隣りに朝鮮を作っておいた。」

コーヒー吹いた(笑)。

ブログを始める前からすでに「嫌韓」派ではあったが、その後も韓国での事件・ニュースを聞くたびに、ボーゼンとなることは1度や2度ではなかった。そして少し前からついに禁断の「日韓翻訳チャット」に足を踏み入れてしまった(笑)。

まあ予想通りではあったのだが、バトルは多い。

特に歴史認識についての話題では凄まじい議論の応酬である。これが資料を根拠にした真っ当な主張のぶつけ合いであれば、多少熱くなっても荒れることは少ないと思われるのだが、主張の質が笑ってしまうほど違う。

まず日本人の主張はまず100%根拠がはっきりしており「○年に何があり、○○氏が何をした」ということがスラスラと出てきてもう反論の余地がない。

これに比べて韓国側の主張というのは、一番多いのは
「日本は歴史を捏造している」
というものである。
「ではどこが?」
と日本人が聞いても、具体的な事実を返答できるものはほとんどいない。仮に「ここだ!」という具体例を挙げる者がいても、「その事実」が実は捏造であることは日本人は分かっているため、日本人に更なる根拠を提示されて完膚なきまでに論破されてしまうのである。

ほとんど幼児が大人に頭を押さえられて、両手をぐるぐる必死に振り回しているようなものである。

もっとも日本人は親切なので、順を追って丁寧に説明してやるのだが、朝鮮人にとっては、データや資料から導き出される「事実」と自分が望む「事実」を天秤に掛けると、後者の方が優先されてしまうものらしい。そのため日本人の説明は常に徒労に終わるのである。

さすがに日本人もキレて
「お前はバカか?」
「何を聞いていた?」
「何回同じ説明をさせる気だ?」
という具合になってくる。

で、最後には朝鮮人から
「チョッパリ!(日本人の蔑称)」
「日本猿!」
「死ね!」
あたりで閉幕になるか、朝鮮人は部屋から叩き出される。

勿論彼らにしても、常にそのような態度に出るわけではない。普通に挨拶して世間話もできる。だが、歴史の話になると途端に態度が変わる。まあこういうのは分かりやすくていいのだが、妙に落ち着いているものもいる。

こういう奴は大方
「日本は我々に対して散々酷いことをした。だが私はその日本を許そうと考えている心の広い素晴らしい人間だ」
みたいに考えているどうしようもないバカなのである。実際にエサをぶら下げるような発言をしてやると、初めは我慢しているようだがあっさりとその仮面は剥がれてしまう。

チャットのログがコピーできないのが非常に残念なところであるが、そのうちやりとりをおこしてみたいと思う。

そして特筆に値するのは、韓国とやり合っている日本人のレベルの高さである。多くの参加者がブログもやっているらしいが、日韓チャットとはいえ日本人同士の会話で目からウロコが落ちることも多い。歴史の知識はもとより多くの分野に興味を示し話をしている。それをROMしているだけでとても刺激があるのである。

先日は日本人は僕1人で残りは4人の韓国人という部屋で、歴史の話をした。「1対4だからさすがにまずいかな」と思ったのだが、

全部論破しました。

最後は癇癪をおこした韓国人の部屋長に「強制退去」させられたけど(笑)。まあこの4人は中学生レベルの歴史すら知らなかったみたいなので余裕だった。

結局、歴史を自分たちの都合のいいように捏造しているのは韓国なので、事件でも事実でも突き詰めていくと必ず矛盾が生じてしまうのである。大きな事件は当然隣国にも記録はあるし、併合時の資料はいくらでも現存するのである。だから正確な資料をもとに主張すれば捏造された資料をもとにした主張をうち砕くのはたやすい。

だがそれは朝鮮人のお粗末なプライドが許さないらしい。

したがって、現実を直視できないこの国はいつまでたってもまともな国にはなれないのであろう。

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2007年11月 8日 (木)

英雄=テロリスト

韓国初の10万ウォン紙幣、肖像に金九氏
2007年11月05日20時44分

 韓国銀行は5日、09年に初めて発行する新紙幣10万ウォン(約1万2600円)券の肖像に、日本植民地時代の独立運動家、金九(キム・グ)を選定したと発表した。現在の最高額券は1万ウォン(15世紀の朝鮮国王世宗)だが、財布がかさばるなど不満も多く、高額券導入を進めていた。

 金九は19世紀末の日本人による朝鮮王妃、閔妃の殺害に憤り日本軍人を殺害。脱獄後、独立運動に加わり、上海に樹立した大韓民国臨時政府の指導者として抗日テロも指揮した。日本の敗戦後、韓国だけの単独政府樹立を進めた李承晩元大統領に対し、金九は南北統一政府を主張したが、49年に軍人に暗殺された。
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この「金九」という人物とはどんな御仁かということでWikiより引用。
(注:細かく読んでもあまり意味はありません。お、ちょっとやるじゃん、ぐらいでOK)

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1876年 黄海道海州に産まれる。
1896年 鴟河浦義挙。閔妃殺害事件(1895年10月8日)に憤り[要出典] [2]、日帝・日本人への懲罰として閔妃殺害にはなんら関係がない日本人・土田譲亮を殺害した[3]。
1899年 黄海道各地に学校設立運動などを行う。
1919年
3月 - 三・一独立運動が失敗に終わる
4月 - 上海に亡命し大韓民国臨時政府の設立に参加、第2、3期臨時政府で内務大臣[4]を務める。なお、第1期臨時政府大統領は李承晩だった。
1931年 韓人愛国党を組織。[要出典]
1932年 東京における李奉昌の昭和天皇暗殺未遂事件、上海における尹奉吉の上海派遣軍司令官白川義則陸軍大将暗殺事件など、日本政府要人を狙ったテロ闘争を指導する。[要出典]
1940年 重慶に脱出し、大韓民国臨時政府主席に就任、韓国光復軍を組織して蒋介石の中国国民党政府とともに抗日活動を行った。
1941年12月9日 大韓民国臨時政府主席 金九と 外務部長趙素昴名で対日宣戦布告 [5]。
1945年11月 帰国。
1949年6月 権力闘争の中で、韓国陸軍砲兵少尉(当時)安斗煕(アン・ドゥヒ)によって狙撃・殺害された。
1941年12月に日本に対して宣戦布告し、主として武装闘争・本国工作活動によって独立を目指した。

アメリカは軍政を布く方針だったために大韓民国臨時政府は承認されなかった[要出典]。金九が独立した大韓民国の初代大統領になることはなかったが、その後も有力な政治家の一人でありつづけた。

金九は、アメリカ軍政下にある南半部だけでの単独選挙実施に反対し、あくまで南北統一を進めるべきという立場から活動した。この活動は北朝鮮当局からも歓迎されず、反共姿勢を優先する李承晩らとの確執を深めた。1949年6月に安斗煕に暗殺された。
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何だか立派そうな感じも受けますが、よく調べてみると。
エンコリより

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(大橋巨泉かと思った)

…私は刀を拾って、倭奴(注:日本人のこと)の頭から足の先まで、あらゆる体の部位を切り裂いた。
2月の寒い夜明けの事だった。
氷が張っていた地面に、血が泉が湧くように流れた。
私は血を手で飲んだ。
また、その倭の血を私の顔に塗り付けた。
そして血が滴る刀を持って部屋に戻り、「さっき、倭奴を救おうとした奴は誰だ?」と叫んだ。
皆、怖がって震えていた。
死体の処置について、私はこう言った。
「倭奴は我が国と国民だけの仇ではない。水の中の魚にとっても仇なのだ。この倭の死体を河に沈めて、魚に国の仇の肉を喰わせよ」
(中略)
「今日は飲みたかった倭奴の血を満足するまで飲んだので、飯が胃袋に入らない」と呟き、涼しい顔をした。
(中略)
私は主人に「あの倭は誰だ?」と尋ねた。
(中略)
やがて船員が倭の所持品を持ってきた。
所持品を調査すると、その倭は陸軍中尉(軍人)の土田譲亮(Tsuchida)という男だった。***************************************************************************************

これだけでもおぞましい人間だと解るが、まだ続きがある。

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驚くべき資料が発見されました。
「アジア歴史資料センター」の資料画像です。
事件が発生した時の記録です。

■事件発生当時の記録(まとめ)
1.土田譲亮(Tsuchida)は一般人で対馬の商人だった。
2.土田譲亮(Tsuchida)は4人か5人の韓国人に、鉄の棒で殴り殺された。
3.犯人は死体を川に投げ捨て、金品を略奪し、逃走した。

…その後、金九は大韓帝国の警察に逮捕されます。
その調書では…。

■大韓帝国の警察の記録(仁川港警務官 金順根による調書)
1.韓国の宿屋では年長者が先に食事をする習慣があるのに、年下の日本人が先に食事をしたので、憤り、3人で殴り殺した。
2.死体は川に捨てた。
3.腹にあった財布を奪い、それで宿賃を払った。
4.奪った金品は、75両とロバ1頭である。

…つまり金九は「単なる強盗殺人犯」でした。
しかも殺したのは対馬の商人(他の資料で薬屋と判明)です。
一般人だったのです。
この一般人を殺害し、金品を奪ったのが金九だったのです。
金九は、この「強盗殺人」を「独立運動」のように偽装したのです。
その為に「俺が殺したのは日本軍の軍人だった!」と嘘を言ったのです。

■金九の行動(まとめ)
1.日本人の薬の商人を集団で囲み、殴り殺した
2.日本人の血を飲んだ(満腹になるまで)
3.金品を奪った
4.日本人の死体を川に捨てた
5.「強盗殺人」を「独立運動」のように偽り、自伝で自慢した

…これが英雄ですか?
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韓国では、日本人を襲えば「英雄」になれるのは現代でも同じなんだよね。
韓国は伊藤博文を暗殺した安重根が切手になっている国。

(おまけ)Wikiより
「盧武鉉は、尊敬する人物として金九をリンカーンとともに挙げている。」

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朝鮮、あっち行け。

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2007年11月 6日 (火)

フラッシュ「南京の真実」

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2007年11月 4日 (日)

肉体と脳と意識

 今年も園遊会への招待状は届きませんでした。

 さて、また武田鉄也氏が紹介されていた内田樹氏の著書を読む。

合気道とラグビーを貫くもの 次世代の身体論 [朝日新書064] (朝日新書 64)
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star体育の苦手だった人も根性主義の人もイチローの秘密も
star合気道については特に述べられておらず

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P40
 30年近く前かな。当時、日本がどこかのナショナルチームとテストマッチをしたことがあるんです。ボロ負けしたんですけど。そのときに新日鐵釜石の松尾雄治選手が劇的なトライをあげたんです。自陣の深いところからインターセプトしてボールを奪って、ほれぼれするような抜き方をしてトライを決めた。
  そのとき解説していた大西鐵之祐さんがその個人技を評して、「松尾君はスキャンできますから」という説明をしていたんですよ。そのとき「スキャン」って何か、大西さんが説明してくれたんですけど、要するに上空から自分を見下ろす視線を持っている、ということだったんです。
 上空からグラウンド全体を見下ろして、相手チームのフィフティーンも自チームのフィフティーンも、全部視野の収まっている。その30人がこのあと数秒間どういう動きをして、どこでタックルが来て、どこのコースが塞がれて、どこにスペースができるか、スキャンできるプレーヤーにはそれがわかる。だから、その空くはずのスペースめがけてトップスピードで飛び込んでゆくことができる。
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 これを読んでいて思い出したのがこれ。

天才セッター中田久美の頭脳(タクティクス)
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star現在の日本バレーボール界に,一石を投じる好著。
starもっと中田久美本人の言葉を引き出して
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 中田選手が全く同じ事を言っているのだ。彼女の場合はたしか中国戦のときにそれが出来たと言っている。コートの上空から斜めに自分たちが見えていたというのである。この状態は常時できるわけではないのだが、できたときには凄まじいパフォーマンスができるらしく、当時まったく勝てなかった中国にそのときだけ勝てたということだった。上から見る自分がいるが、同時にプレーしている自分がいるのである。
  このほかにもサッカーの名古屋グランパスにいたストイコビッチも同じ事を言っていた記憶がある。また中田英寿も同様である。小学生時代はフォワードだったため自軍の先頭を走るわけだが、「後ろを振り返らなくても誰がどこにいてどう走っているか見えていた」と言っていた。

 これこそが1流プレーヤーの証なのだろうか。

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